1章 強制的なゲームを作ってはいけない



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1−1.すぐに始められないゲーム

 すぐに始められないゲームを作ってはいけません。何故なら、遊び手はすぐにゲームを遊びたいからです。また、誰しも余暇時間は有限で、貴重なものだからです。さらに、ゲームは娯楽であり、いかに楽しい時間を過ごしてもらえるかを考えねばならないからです。だからこそ、すぐにゲームを始められるようにしておかなければならないのです。

 例えば、誰がそのゲームを作ったのかを誇示するようなロゴをゲームを始める前に見せびらかしてはいけません。遊び手にとってはまるで興味のないことでしょうから。また、長ったらしいオープニングを作ってはいけません。必要最小限のことですぐに切り上げるべきです。すぐにゲームを始めることができないほど、そのゲームが面白くなくなる可能性が高くなることでしょう。

 必要なことは、遊び手をできる限り短い時間でゲームに没入してもらえるような環境を整えることです。すぐに始められないゲームとは遊び手を待たせているゲームといえます。ですので、すぐにゲームを始められる環境を作ることを意識して、ゲームを製作するべきです。製作者のエゴを遊び手に押し付けて、遊び手を嫌な気分にさせないようにすることが重要です。

 具体的な例で言えば、ゲームを多くの人に知らしめたスーパーマリオブラザーズはファミコンのROMをファミコンに刺し、電源を入れた瞬間にタイトル画面が立ち上がり、すぐにスタートボタンでゲームを始めることができます。おそらく、このゲームを始めるために必要な時間は10秒もかからないことでしょう。何気ないことですが、このことは面白いゲームのためには絶対に必要なことです。


1−2.スキップできないゲーム

 スキップできないゲーム(ある場面を飛ばすことのできないゲーム)を作ってはいけません。何故なら、強制的に何かをさせられるということは苦痛な作業になりうるからです。ゲームは遊びであり、苦痛な作業の対極にあるべきです。だからこそ、スキップできないゲームは作ってはいけないのです。

 スキップできる場面とは、繰り返し行われる場面であり、もはや必要としない場面のことです。必要のない場面は時間の無駄ですので、できる限りスキップできるようにしましょう。なお、スキップするかしないかは、遊び手の判断に任せる方がいいでしょう。ただし、本当に必要のないことは削除するべきです。

 ゲームを製作したことのある人にはわかると思うのですが、製作したものをじっくりと遊んでほしい、見てほしいという気持ちが製作者には必ずあると思います。しかし、その気持ちはぐっとこらえて、遊び手を思いやったゲームを製作するべきです。何故なら、そちらの方が結果的に遊び手に長く遊んでもらえる可能性が高くなるように思えるからです。

 例えば、格闘ゲームは、試合開始前、試合終了後をスキップできるゲームが数多くありました。試合前後をスキップできることにより、試合自体に集中でき、さらには無駄な時間を大幅に短縮でき、その結果、面白いゲームに仕上がっていたように思います。このことはゲームのテンポにも関わってくる問題なので、細かなことですが重要なことです。


1−3.待ち時間が長いゲーム

 待ち時間の長いゲーム(ロードの長いゲーム)を作ってはいけません。当たり前の話ですが、待ち時間が長いということは非常に退屈なことだからです。ゲーム中に待ち時間があれば、ゲームの熱中を覚ましてしまうので、そのゲームは面白くなくなってしまいます。

 待ち時間の長いゲームは1回当たりのプレイ時間が長くなりますし、ゲームのテンポも悪くなります。さらに、遊び手が手持ちぶたさになり、やることがないという刺激のない状態になり、全く良いことがありません。ですので、待ち時間を可能な限り短くする努力を怠らないようにしましょう。

 他にも、ゲームメッセージの速度が遅いこと、画面の切り替えが遅いこと、キャラクターの動きが鈍いことなどは、遊び手に微妙な待ち時間を与えているとも言えます。そのあたりのことは、遊び手の選択に任せることができるような設定にすれば、遊び手に喜んでもらえることでしょう。

 もし、待ち時間ができてしまうとしても、その待ち時間で楽しんでもらえることを思案するべきだと思います。例えば、プレイステーションのリッジレーサーでは、ロード中に、ギャラクシアンが遊べるという趣向が凝らされていました。他にも、ロード中にアニメーション・画像が表示されるゲーム、ロードの経過具合が報告されるゲームなどがあります。


1−4.できることが少ないゲーム

 できることが少ないゲームを作ってはいけません。というのは、できることが少ないとすぐに飽きてしまうからです。昔のファミコン時代のゲームなどは、容量の関係上、できることが少ないゲームは多かったです。ですが、できることが少ないながらも、ゲーム自体が洗練されていて、多くのことができていました。つまり、理想を言えば、少ない操作やコマンドなどでできることを多くすることを目指すべきです。

 ゲームで重要なことの一つは、『そのゲームで何ができるか?』ということです。例えば、そのゲームで現実ではありえない体験ができるのであれば、有用でしょう。また、教育的要素があれば、遊び手の何かしらの役に立てるでしょう。さらに、社会的提言があれば、多くの人に何かを伝えることができるでしょう。遊び手のためになるゲームを製作することをお勧めします。

 例えば、有限な駒の数に関わらず、将棋というゲームの『できること』、つまり、『次に打てる手の数』はまさに無数と呼べるほどの種類の多さがあります。また、将棋というゲームを遊ぶことによって、戦略的思考を養うことができるでしょうし、様々な世代の人との交流することができるでしょう。だからこそ、将棋というゲームは遊び継がれてきたのでしょう。

 ただし、あまりにもできることが多いゲームを目指さない方が良いです。できることを多くするならば、ゲーム製作の作業量が格段に増えてしまい、伝えたい主題が拡散したり、練りこみ不足に陥ったり、ゲームが完成しなくなるからです。目安としては、常にどの場面でも遊び手のできることが数種類はあるというのが望ましいです。


1−5.単線的なゲーム

 単線的なゲームを作ってはいけません。単線的なゲームとは、1つの方法・手段しかやることがないゲームのことです。何故、単線的なゲームがダメなのかというと、遊んでいると強制的に遊ばされているような感じを受けてしまうからです。言わば、誰かが敷いている線路の上を走らされている感覚が出てくるからです。

 単線的な表現の媒体としては、本や映画を挙げることができるでしょう。本や映画と同じであるならば、ゲームの利点や長所が殺されてしまうので、製作するのは大変かと思いますが、ゲームの独自性を考えるのなら、複線的なゲームを製作するべきです。直線的に展開していくゲームはゲームの大きな魅力の1つを失っていると個人的に思うからです。

 例えば、よくRPGなどには、いわゆる『お使いイベント』がありますが、理想を言えば、お使いイベントがあるにせよ、やるかやらないかは遊び手の判断に任せるべきなのです。ゲームとは、複数に、あるいは、無数に、欲を言えば、無限に分岐して行くことが面白さの肝なのです。欲を言えば、遊び手の数だけ分岐して行くゲームが望ましいのです。

 単線的なゲームに対し、複線的なゲームの具体的な例を挙げれば、スーパーマリオブラザーズがあります。このゲームでは他のステージにワープできる土管があります。この土管があることで、遊び手はある程度自由にステージを選ぶことができます。言わば、ワープできる土管があることで、選択することができる複線的なゲームに仕上がっているのです。


1−6.不可逆的なゲーム

 不可逆なゲーム(一方通行なゲーム)を作ってはいけません。ある状況や位置に戻れない・やり直せないということは、遊び手にとってストレスを感じさせる要素になる可能性が高いからです。なお、このことは主にRPGなどのクリア時間が長いゲームによく当てはまることです。

 もちろん、ある程度、やり直しが効かない方が挑戦しがいがあったり、ゲームの盛り上がりが期待できる部分があります。ですが、1回あたりのプレイ時間が長ければ長いほど、やり直すことが遊び手にとって苦痛になる可能性が高くなるで注意が必要なのです。例えば、一度死んでしまった場合、最初からのスタートになるRPGを多くの人は受けいれることはできないでしょう。

 不可逆なゲームでも、遊び手の苦痛を軽減するために、いつでも途中セーブできるようにする、セーブファイルを増やす、ある程度の区切りをつけるようにするなどの方法が考えられます。大切なことは遊び手に不要な苦痛を与えないようにすることです。

 可逆的なゲームの具体例を挙げるならば、スーパーマリオワールドがあります。このゲームはいつでもステージをやり直すことができますし、ステージ攻略中であっても上下左右に行き来することができます。このゲームくらい遊び手に親切丁寧な作りであると、難易度はそれほど気にならないことでしょう。


1−7.1回しか遊べないゲーム

 1回しか遊べないゲームを作ってはいけません。1回しか遊べないゲームではコストパフォーマンス(費用効果)が非常に悪いからです。また、1回しか遊べないゲームは、実はゲームと呼べないかもしれません。あらゆるゲームというものは、何度でも遊べることを前提にしているように思います。例えば、野球というゲームは1回しか遊べないゲームでしょうか?

 1回しか遊べないゲームでは、製作者がテストプレイするのもうんざりすることでしょう。本当に面白いゲームを目指すのなら、何度でも遊べるゲームを目指すべきです。製作者自身が楽しめるゲームであれば、遊び手にも楽しんでもらえる可能性は高くなるでしょう。逆に、製作者が楽しめないゲームであれば、遊び手に楽しんでもらえる可能性は低くなるでしょう。

 何度でも遊べるゲームを考えるのであれば、『ランダム性』、『ランダム生成』、『自由に選択できるゲーム』、『協力型ゲーム』、『対戦型ゲーム』、『複数人プレイゲーム』、『短時間で終わるゲーム』、以上、7つの言葉の要素をゲームのどこかに配置することをお勧めします。様々な種類の様々な組み合わせで変化に富むゲームであれば、何回も遊ぶことができることでしょう。

 何度でも遊べるゲームを製作したいのであれば、野球やサッカーや鬼ごっこやかくれんぼなどの長年遊び継がれたゲームを参考にすると良いでしょう。時代が変わってもなくならないものはそれなりの良さと含蓄が必ずあります。その良さと含蓄を抽出して、ゲームに活かせば、面白いゲームがきっとできあがることでしょう。


1−8.プレイ時間が長すぎるゲーム

 ゲームの1回あたりのプレイ時間が長すぎるゲームを作ってはいけません。ゲームの1回あたりのプレイ時間が長いゲームほど、腰を落ちつけてじっくりと遊ぶ時間が必要なので、結果的に、それほど遊んでもらえないゲームに仕上がる可能性が高くなるからです。実は、細切れの空いた時間でも遊べるゲームの方が長く遊んでもらえるように思います。

 さらには、プレイ時間が長すぎると、製作者にとっても、遊び手にとっても集中力や記憶力が途切れ、散漫なつまらないゲームになることが多いように感じます。人間が集中できる時間や記憶できる量はたかが知れています。ですので、プレイ時間が長い1度きりのゲームではなく、短い時間で何度でも長く楽しめるゲームを製作するようにしましょう。

 ゲームを遊ぶ人は必ずしも余暇時間をたくさんもっているわけではありません。社会人の人であるなら、クリアするのにかなりの時間がかかってしまうゲームは遊ぶ前から敬遠されてしまいます。ですので、多くの人が息抜きとして短時間で気楽に楽しむことができるゲームを製作することをお勧めします。そのようなゲームの方がより多くの人に楽しんでもらえることでしょう。

 個人的には、1ゲーム30分程度で終わるゲームを目指すべきだと思います。1ゲーム30分程度で終わることができれば、2時間の時間があれば、大体4回遊ぶことができるからです。なお、複数人プレイを前提とするゲームであれば、人数が揃って遊んでもらえることなど稀なことであるので特に注意する必要があります。



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